マーベルズに描かれるマーベル市民
一般市民の視点からヒーローがどのように映っていたのかを描くマーベルズを読む。
名前の通り、マーベルコミックなので、スパイダーマン、アベンジャーズ、X-MENお馴染みのキャラクターが大勢登場する。この手の「もしもシリーズ」というか思考実験というかが大好きなので割と迷わず購入した。
物語は記者フィル・シェルダンの一人称で進行していく。なので、一つの事件がなぜそうなって、なぜ解決されたのかまでは詳細にはならない。自分は詳しいアメコミ読者ではないので、かえってこの本の内容に入り易くなっていた気がする。
ふたばちゃんねるでアメコミスレを見ていると、マーベルコミックの一般住民の酷さが話題になることがある。Googleで「マーベル市民」と検索しようとすると「クズ」と検索候補が出てくるまでその民度は低いと言われる。
実際、この物語の中でも自分たちをヴィランから助けてくれたヒーローたちに対し「自作自演」と評し、何もしていないミュータントらに対し恐怖し、暴動を起こす。この脊椎反射っぷりは見ていて「お前ら少し落ち着け」と言いたくなるくらい面白いものがあるけど、例えば、自然災害や良くわからない病気の危険、未知のものにさらされた時、同様の行動をしない自信は正直ない。
なぜ、マーベル市民の民度は低いのか。マーベルコミックは色んな世界線があり、例えばスパイダーマンは並行世界が2099個*1?もあるらしいので、一概に言えるものではないと思うけど、このマーベルズ世界ではその事が明記されていた。
私は彼らをマーベルズと呼んだ…
驚嘆すべき者たちと…
だが、我々はどうなのだ?
(中略)
世界を動かすのは我々の役目だったところが我々は縮んでしまった。
人々の表情すらも。かつては自信に満ちて輝いていたのに…
今では観客の顔になっている。
もはや主人公ではないのだ。
マーベルズ p35 フィル・シェルダン
もう一つ、マーベル市民代表、スパイダーマンの登場人物でもあり、ヒーローの存在を良しとしないジェイムソンは言う。
フィル…もし奴が本当にヒーローで”マーベルズ”が連中の言葉通り高潔な聖人君子だったら…
ワシら普通の人間は何なんだ?ゴミか?マーベルズ p175 J・ジョナ・ジェイムソン
ちなみに、このマーベルズの中で一番好きなキャラクターはジェイムソンだったりする。新聞社という異能者たちの凄まじさを目の当たりにしやすい環境に置きながら、彼らの能力に自分たちの矮小かもしれないけど矜持を潰されまいと、自分たちが社会の主役なんだと一貫して行動し続けた*2。その姿勢が人間的でありながら、とても超人的で魅力的に感じた。
話を戻す。もし支配不可能なヒーロー、ヴィランたち超能力者を自然(恵みにしても災害にしても)と考えることができるのなら、この思い通りにならない状況に対し無力感を抱いてしまうのも無理はないと感じてしまう。結果、都合よく持ち上げ100%の期待に応えられなければこき下ろしてしまう。世界線は違うけどその畏怖の心の結果がシヴィルウォーなんだろう。
主人公フィルは幸か不幸かタイミングが重なり神経が卑屈な方向に捻じ曲がることなく歳を重ねていく。その中でヒーローサイドに立ち彼らに希望を見出し、彼らに対し誤解が生じればそれを解こうと努力を惜しまなかった。だけど、何も変わらない現状に、誹謗中傷するまで行かずとも、疲れ傷つきその立場から身を引く決断をする。つまるところ自身の無力さ、ジェイムソンの言葉でいう「普通の人」「ゴミ」だと気づいてしまう。
最終的にヒーローに積極的に加担する一般市民は誰もいなくなり物語は終わりを迎える。
この本の帯には「マーベルズの存在が、世界に何をもたらしたのか?」という問いかけがある。
世界の窮地は幾度と救われてきたものの、市民のメンタリティーは何も変わっていない。世界が滅びてなければそれでいいじゃないかという気もする。が僕らの現身であるマーベル市民が何の変化もなくクズのまま終わりを迎えるこの物語は救いようのないくらい悲惨な気もする。
そんな面倒くさいマーベル市民を平気で殴り飛ばしそうな痛快娯楽映画(仮)「デッドプール」が今から楽しみです。
- 作者: カート・ビュシーク,アレックス・ロス,秋友克也
- 出版社/メーカー: 小学館集英社プロダクション
- 発売日: 2013/07/24
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